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大正橋/JR青梅線 川井駅周辺 移 動: 青梅街道に架かる橋『大正橋』 お洒落な造りの大正橋 大正橋の由来 先代の橋のイメージ リンク: 大丹波川 奥多摩大橋:多摩川の橋 通行止になった「梅沢橋」 川井堰堤 青梅街道に架かる橋『大正橋』 トップへ
川井駅近くの橋といえば、『奥多摩大橋』が雄大で有名です。こちらが青梅街道と吉野街道の連絡橋となっていますが、この大正橋は大丹波川で寸断された青梅街道を繋ぐ重要な橋となっています。構造はRC上路式アーチ橋で道を走っている時は全く目立たないように造られています。 ![]() 大丹波川に架かる青梅線の大丹波橋梁(奥)と青梅街道の大正橋(手前) ![]() 奥多摩大橋から見た大正橋(手前)と青梅線の大丹波橋梁(奥)
![]() 左ー大正橋の大丹波川上流側の景色です。右ー大正橋の大丹波川下流側の景色です。
奥多摩町は山が多いせいで、谷などの低い位置にわき水や雨水が集まります。それが沢や川になって、多摩川に流れ込んでいる所が多くなっています。この沢や川があるせいで山腹にある道が谷で寸断されてしまいます。この大正橋も袂にある『大正橋の由来の碑』にありますように主要な街道をスムーズに渡るための重要な橋であったようです。この記録は、1814年からあり、現在の橋は6代目となっています。この銅板の当時の橋の絵を見てみますと、この橋が架かる場所はかなり険しい地形なのが分かります。そのことは実際橋から谷を覗き込んでみますと、街道面から川まで20㍍位削られているのが分かります。 橋に感謝:お洒落な造りの大正橋 トップへ 大正橋の由来 トップへ 青梅街道北側 川井駅より『大正橋の由来』の碑より この地に橋が架かる以前、人々は大丹波川の浅瀬に丸太や板を渡し川を渡っていました。そのため大雨が降ると丸太や板は流され、交通は途絶えてしまいました。この様を憂いた川井村の名主中村庄蔵氏は、私費を投じて江戸時代後期の文化11年(1814)橋を完成させました。当時この橋は「大橋」もしくは「川井之橋」と呼ばれていました。この橋の構造は山梨県大月市にある「猿橋」に似た「肘木はし」と呼ばれるもので、橋長七間(14.5m)幅員四尺(1,2m)の立派な木橋でこの地方を描いた「新編武蔵野風土記稿」「武蔵野名所圖繪」「御岳山ー石山紀行」等にいずれも挿絵入りで紹介されています。 その後おおよそ20年毎には橋は架け替えられました。この時代の橋台は、今も橋の下流に見ることができます。大正時代になると人々に往来や物資の流通も活発になり、大橋も大正8年(1919)、強固で広い橋へと架け替えられ、これを期に橋名も「大正橋」へと改められました。この橋は木鉄混合のトラス橋で橋台には赤レンガと御影石を用いた大変美しい橋でした。その後交通量の増大や老朽化等により、昭和11年(1936)には鋼アーチ橋に、昭和54年(1979)にはコンクリートアーチ橋へと架け替えられました。今回、大正橋の拡幅に伴い歴史製を十分考慮し、大正時代の橋台のイメージを中心に橋の化粧直しを行いました。 今後とも大正橋が永く、多くの人々に親しまれることを願うものであります。 平成9年4月 東京都
This bride was originally buille in 1814 by Mr.Shozo Nakamura. at his spense.who was a head man of Kawai Village. 大正橋の由来/先代の橋のイメージ トップへ
「大正橋の由来」の碑には、江戸時代後期からの大正橋の事が示されています。昔から山梨へ続く道として、支流で遮られた街道の往来をスムーズ交通できる橋は重要なもでした。 ![]() 国立公文書館デジタルアーカイブ/武蔵野名所圖繪「御岳山一石山紀行」より
![]() 左ー江戸時代後期(1820年頃)の橋 中ー明治時代(1900年頃)の大正橋
![]() 左ー大正初期(1910年)の大正橋と 右ー大正6年(1919)の大正橋
![]() 左ー昭和11年(1936)の大正橋 右ー昭和54年(1949)の大正橋
鵜の瀬橋から御岳小橋 トップへ 移 動: 青梅街道に架かる橋『大正橋』 お洒落な造りの大正橋 大正橋の由来 先代の橋のイメージ リンク: 大丹波川 奥多摩大橋:多摩川の橋 通行止になった「梅沢橋」 川井堰堤 JR青梅線 川井駅周辺 1 2 3 4 5 6 7 次は・大丹波川 |